公開: 2020年3月16日
更新: 2025年2月6日
現在の岡山県、総社市に広がる吉備平野を中心とした古代地域の名称です。現在では、この地域の中心に、吉備津神社があります。また、巨大な古墳群が散在し、中には、日本で2番目に大きな前方後円墳もあります。国分寺も後に、この地に建立されました。大和王権によって、大和朝廷の支配下に置かれる以前は、朝鮮半島の百済から来たとされる王の一族が、この地を治めていたと言われています。その王は、百済の言葉で、王を意味する「ウラ」と呼ばれ、吉備冠者を名乗っていましたが、伝説では「鬼神」とも呼ばれていたと記録されています。ウラは、朝鮮半島から、製鉄や造船の技術をもたらしたとも言われています。ウラの一族は、現在、『鬼ノ城』(きのじょう)と呼ばれている台地の頂上に築かれた城を、居城としていたようです。
ウラは、古事記などによれば、崇神天皇(すじんてんのう)の命によって吉備の国に派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)との戦いに敗れ、大和朝廷に従うことになったとされています。これは、古事記などに記された伝説であり、史実ではないようです。